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教本#1


 沖縄の伝統芸能の音響デザイン

 

富山 尚

(皷・Tizin)

 

 

第1項 はじめに

 

沖縄の組踊と舞踊は、色彩豊かな舞台衣装と優雅な動きが特徴とされているが、その中でもセリフと歌と舞踊が一体となって昇華された組踊は、能や歌舞伎と並んで国の重要無形文化財に指定されている。

 

1372 年、沖縄(琉球)は、中国を統一していた明国と初め て君臣の関係を結び、1429 年に王国がつくられた。琉球王国 は、中国・日本本土・東南アジアの国々と外交関係を持つと同 時に、貿易を盛んに行い、国王が代わるごとに冊封(さっぽう) の式が行われた。冊封とは、中国(明)の皇帝が臣下の国の主 に対して、詔勅(しょうちょく=任命書)を与えることで、そ の即位のために詔勅を携えてやってくる使者を冊封使(さっぽ うし)と称した。冊封使は詔勅のほかに新国王に授ける王冠も 携えて来ることから、冊封使が乗ってくる船のことを御冠船(ウ クヮンシン)といった。冊封使が渡来すると、前国王の論祭(弔 いの儀式)や新国王認証の行事だけでなく豪華な遊宴を催し、 そこで芸能が演じられた。 琉球王国では、冊封使をもてなす芸能公演のために踊奉行を 設け、数多くの舞踊や演劇を仕立てた。 これらの芸能を総称して御冠船踊(ウクヮンシンウドゥイ) という。沖縄の古典舞踊は御冠船踊のことことであり、踊奉 行に任命された玉城朝薫 ( たまぐすくちょうくん:1684 ~ 1734) たちによって確立され、その後の優れた芸術家たちに よって磨き上げられた。

 

 

第2項 古典舞踊について

 

古典舞踊は、老人踊(ロウジンウドゥイ)・若衆踊(ワカシュ ウウドゥイ)、二才踊(ニーシェーウドゥイ)・女踊(オンナウ ドゥイ)の端踊、楽劇の組踊(クミウドゥイ)に分類され、踊 りの技法は男芸と女芸に分けられる。

 

これらの舞踊の母胎となったのは、沖縄に古くからあった祭 祀芸能で、現在でも各地で祭りが盛んに行われており、そこで は実に数多くの芸能が演じられている。これらは民族芸能と呼 ばれ、古典舞踊の基礎になったのである。 御冠船踊を仕込んだ踊奉行たちは、公務で薩摩や江戸に出か け、そのかたわら本土の芸能を鑑賞して造詣を深め、自らの芸 域を広めた。

たとえば、女踊の基本は出羽(ンジファ)・中踊(ナカウドゥイ)・入羽(イリファ)の三部構成になっていて、こ れは本土の近世初期の小唄踊の形に学んだもので、二才踊にも 本土の舞踊の着付けや技法が巧みに生かされている。

 

琉球王国が、1879( 明治 12) 年の廃藩置県をもって幕を閉 じた後、御冠船踊の役者やその弟子たちは禄(ろく=報酬)を 失い、宮廷から市井(しせい=ちまた)の舞台へ移り、そこで 木戸銭をとって芸能を披露した。市井の舞台では、彼らは御冠 船踊に加えて、民間に流布する民謡や風俗を取り入れた新しい スタイルの芸能を創り出した。そうして出来た踊りを雑踊(ゾ ウウドゥイ)といい、演劇の分野では歌劇・セリフ劇・狂言な ども生まれた。雑踊は、従来の御冠船踊の格調の高さに替えて、 振りの様式と衣装に新たなエネルギーがそそがれ、庶民芸能と して定着した。

 

「雑」とは「正」に対する「俗」または「本」に対する「端」 といった意味である。この場合の「正」「本」は、もちろん琉 球王国で育まれた御冠船踊をさしている。

 

A)老人踊

白髭(しろひげ)の翁(おきな)と白髪(しらが)の媼(お うな)が一緒に踊る形・翁一人で踊る形・翁と媼が子や孫を引 き連れて踊る形など、いくつかの演出方法があり、めでたい歌 詞にのせて踊るので、祝宴や芸能公演の幕開けに歌い踊られる。

 

B)若衆踊

若衆とは元服前(成人前)の宮廷に仕える少年のことで、この少年たちが踊る踊りが「若衆踊」である。振袖衣裳に広い帯をしめ、錦の陣羽織に赤の足袋をはいて踊るのが特長である。

 

C)二才踊(にさいおどり)

二才とは元服した青年男子のことで、彼らが踊るのを二才踊 と呼び、衣装は黒の袷(あわせ)を着て、裾をあずまからげ(ア ジマー)にし、広い帯をしめる。足には白黒縦縞の脚絆(きゃ はん)を巻いて白足袋を履き、髪形は「カタカシラ(団子形)」 に結って、白い鉢巻を前結びにしめる。本土の影響を受けては いるが、空手風の所作もある。

 

D)女踊

沖縄の古典舞踊の中で、女踊は独特な味わいをもっている。 華やかなうえに、たいへん優雅な踊りで、古典舞踊を代表して いる。 琉球士族の女子の礼服の裙(くん)という胴衣(ドゥジン)・ 下裳(カカン)の上に、紅型(ビンガタ)の打ち掛けを羽織っ た装束で、髪形はカラジと称する琉球髷(りゅうきゅうまげ)に、 紫の長巾(ナガサージ:帯)をしめ、髪には作り花・ノシ・バ サラなどの飾りをつける。赤の足袋をはき、踊り手によっては 指に房指輪(飾りの付いた指輪)をはめることもある。 女踊には、足の運び・構え・腰の使い方・面のあて方・手と 指のこなし、などに独特の技法がある。 女踊は元来、男性(女形)が踊っていたが、現在は主として 女性が踊るようになった。

 

E)雑踊

琉球王朝時代に創作された御冠船踊(古典舞踊)に対して、 明治時代の中期以降に創作された舞踊を「雑踊」という。

廃 藩置県で琉球王朝がなくなったことによって、御冠船踊の芸能 人たちは、民衆から木戸銭をもらって生活しなければならなく なった。わずかな木戸銭を払うことによってきらびやかな王朝 芸能を鑑賞し堪能していた民衆であるが、次第に様式化した芸 能に飽き、新しいスタイルの芸能を求めるようになる。 そこで芸能人たちは、観客の欲求に応えるために工夫をし、 民間で歌われている民謡や俗曲を数多く取り入れたり、衣装も 豪華で重厚なものから紺地の琉球絣(りゅうきゅうかすり)や 芭蕉布(ばしょうふ)を着たり、足袋もはかずに素足で踊った り、振りも斬新なものにした。 このようにして誕生したのが「雑踊」で、従来の御冠船踊の 雰囲気とは違って、振りや形式、衣装に新たな民衆のエネルギー がそそがれ、庶民芸能として定着したのである

 

 

第3項 組踊について

 

組踊は、玉城朝薫が薩摩や江戸に公務で出掛け、そのかたわら本土の芸能を鑑賞したり、演じたりして造詣を深め、沖縄土着の芸能や故事を基礎にして、本土の能・狂言・歌舞伎、あるいは中国演劇にヒントを得て創作したものである

 

朝薫は 1718 年に踊奉行に任命され、翌年の 1719 年、尚敬 王(しょうけいおう:第2尚氏王統 13 代目の王)の冊封使歓 待の重陽宴(ちょうようえん)で初めて組踊を上演し、その後、 約 60 演目の作品を創っている。このように、組踊は冊封使歓 待のために踊奉行たちによって作られ、上演されてきた。 また、貴族社会でもそのつど観劇された。1800 年代には役 人たちによって地方にも組踊がもたらされ、村踊り(収穫祭や 豊年祭など)のプログラムに組み込まれて上演されるように なった

 

組踊の内容をみると、「○○敵討」という外題の「仇討ち物」 が最も多く全体の約8割を占めている。次に「孝行」を主題と したものが数演目あり、「恋愛」を主題としたものと「滑稽」 なものがそれぞれ1演目ずつある。

 

組踊のテーマは、封建倫理の徳目である「忠」と「孝」であ り、それに王府が介入することが強調されている。その要因は、その宴が王府主催のもので国家的な行事であり、琉球王府の支 配倫理を組踊のなかに具現させている、つまり組踊が支配者内 部で閉鎖的に創作され、演じられ、鑑賞されたという事情によ るものである。

 

組踊の作者および役者は言うに及ばず、歌・三線・琴・胡弓・ 笛・太鼓もすべて士族階級の者が行った。

 

組踊りの特徴は

(1)台本を備えていること。

(2)セリフの唱え方が役柄や階級によって違うこと。

(3)セリフの声の高さは三線の調絃と同じ高さであること。

(4)いったん幕が上がると、演技が終了するまで幕をおろ さないこと。

(5)演技が時間とともに進行すること(過去の場面を演じ ない)。

(6)歌は、三線の前奏なしで歌うことが多いこと。

 

などがあげられる。 組踊は廃藩置県によって、その継承が危うくなったが、地方 へ伝播する一方で、明治期に成立した商業演劇の役者たちに よっても継承され、伝統芸能として定着し、今日に至っている。

1972 年(昭和 47 年)5 月 15 日、日本本土復帰と共に組踊は、 国の重要無形文化財に指定された。沖縄の芸能には、古い祭祀 芸能から御冠船踊、雑踊、そして現在の創作活動に至るまでの 歴史が生きており、地理的には本土の芸能のみならず、広く中 国や東南アジア諸国の芸能の要素も潜在している。しかし、そ の基礎となっているものは、沖縄以外のなにものでもなく、沖 縄の芸能が究極において、いずれの国の模倣でもない沖縄独自 の芸術性と美意識を打ち出しており、このことは御冠船踊ばか りでなく、沖縄芸能全体の特色といえる。

 

第4項 楽器について

楽器は次の 5 つを用いるのが基本で、この演奏者たちを地 謡(じうたい)と称している。

 

A)三線(サンシン)

沖縄の楽器を代表するものである。三線は 14 世紀末頃に中 国から伝来し、当初は宮廷楽器として定着したが次第に庶民に も普及し、祭りや民間芸能にも登場して隆盛をきわめていった。 そして、永禄年間(1558 ~ 1570)に沖縄から大阪の堺に渡 来し、本土でも普及したといわれる。 中国から伝来して以後、沖縄の音楽に合うように工夫がされ、 改良が加えられ、琉球王府では貝摺奉行(かいずりぶぎょう:王府の工芸所)が三線製作を行っており、それによって名工を輩出し、名器が生まれた。三線を弾くツメは水牛の角などを使用している。

沖縄では調弦のことを方言でチンダミと言い、三線の弦は上(低音)から男線(ウージル)、中線(マカジル)、女線(ミージル) と呼び、チンダミも本調子、(ホンチョウシ /C・F・C)、二揚(ニ アギ /C・G・C)、三下(サンサギ /C・E・C)が基本チンダミで演 奏される。

 

▲三線

 

B)琴(クトゥ)

1702 年に薩摩に公務で出かけていた稲嶺盛淳が、公務のか たわら奏法を学んで沖縄に伝えたといわれ、御冠船踊で初めて 三線の伴奏に使用した。弦は本土の琴よりも太く、ツメも先端 が丸くなっており、柔らかめの音になっている。

 

C)笛(ファンソー)

六孔の横笛で、古典音楽では歌 / 三線の伴奏楽器として使わ れることがほとんどである。しかし、民族芸能では笛の演奏だ けで踊ることもある。

 

D)胡弓(クーチョー)

バイオリンと同じように、馬の尾の毛を張った弓で弦をこ すって音を出す。最初に中国から伝来したのは二胡(にこ)または四胡(しこ)であったという説もある。当初は三線のよう に三弦であったが、沖縄の音楽を表現するために、1965 年頃 に改良して四弦の胡弓を作り、現在の主流となっている。

 

E)太鼓(テーク)

太鼓の胴には、ケヤキや松などの木をくりぬいた胴と、雑木を寄木して作った桶型胴や樽型胴があって、この胴に皮を鋲 (びょう)か紐で締める。沖縄では、寄木の樽型胴のものが普 及していて、その他に締め太鼓・平吊り太鼓・平方太鼓、片面にだけ皮を張ったパーランクーなどがある。

 

 

第5項 地謡の編成と位置

 

現在の組踊と琉球舞踊は、通常の多目的なホールでの公演が 主であるため、SR のためにマイクを使用する。 地謡の形式には、出地謡と陰地謡がある。 出地謡は舞台上手の前【図1】の①、または舞台後方の中央【図1】の②に配置することが多い。これは、琉球舞踊の踊り手は 基本的に下手から出て(出羽)下手に入る(入羽)ので、下手 では踊り手の出入りが見えないからである。

地謡の並び方は、基本的には【図1】の①の場合では2段の 地謡台(山台)にして、上段に唄 / 三線(弾き歌い)、下段に 奥から太鼓、琴、胡弓、笛の順に座る。

しかし本来、形式的な決まりはなく、演出者によって位置が決まったり、地謡のリーダーによって奏者の配置が変わったりする。

 

通常は、唄 / 三線が2~4名(それ以上の場合も、1名の場 合もある)、琴1名、笛1名、胡弓1名(いない場合もある)、 太鼓1名(大太鼓 + 締太鼓)の6~8名の編成で演奏される。

▲図1 地謡の配置例

第6項 出地謡のマイキング

 

出地謡の演奏者は、板付きの場合と開演してから登場する場 合がある。通常、出地謡には【図2】のように、BLMやワイ ヤレス・ピンマイク(無指向性)などを使用する。

▲図2 出地謡の配置例

 

会場の広さによっては、補助として三線用に BLM を2名の 間に1枚ずつ設置する。ハチマチ(階級によって色の違う帽子 のようなもので、現在は金色のものが主流)に設置する場合に は、リハーサルの時点から被ってもらうようにする。琴と胡弓の収音もBLMを使用するが、胡弓には設置はしないこともあ る。 太鼓は、他のマイクへの被りで充分だが、逆に大き過ぎる場 合は奏者に抑えてもらう。 組踊や古典舞踊の場合、地謡奏者の正装は黒朝(クルチョウ / 黒い薄手の着物)とハチマチを着用して【写真2】のように 地謡台の上に正座をする。

▲写真2 出地謡 前列左から太鼓、琴、胡弓、笛。後列は歌/三線。

 

唄 / 三線、笛の収音は【写真3】のように、ハチマチの右側 にワイヤレス・ピンマイクを設置する。演奏者の右側に装着す るのは、地謡台の配置が通常は上手側で、奏者は舞台中央に向 かって座るので、客席からマイクが見えないようにするためで ある。ハチマチをかぶらない場合は、胸元に仕込むのが定番。

▲写真3 ハチマチに装着したピンマイク

 

第7項 陰地謡のマイクアレンジ

 

陰地謡の演奏者は、上手側の【図1】の3に配置する。通常 は、上手の第1袖幕の裏のスペース内に設置される。陰地謡は イスに座り、譜面台を置く。狭い袖中に、歌 / 三線奏者が一番 前に横一列に座り、すぐ後ろに琴、その横に笛と胡弓、そして 一番後ろに太鼓が並ぶので、マイクスタンドはフレキシブルタ イプで、足の小さいものを使用することが望ましい(ブームス タンドでは場所を取り過ぎることなどが理由)。歌用マイクは 1人に1本、三線は歌マイクにかなり被ってくるが補助として BLMを2名の間に1枚ずつ、箱馬で1尺程度高くして膝より 50cm ほど離して設置する。 琴は上部から収音することが普通だが、鳴りが弱かったり、 太鼓の被りが厳しかったりする場合には、BLMを箱馬に置き、 楽器の下部から収音することもある。 胡弓は、胴体の部分が膝位置で低いため、卓上スタンドなど 低いスタンドを使用する。 太鼓は通常、座奏用になっているため、陰では太鼓台として 会議用テーブルに置くことが多い。

そのためスタンドはスト レートタイプ、もしくはブームタイプを使用する。太鼓の音は 他のマイクへの被りで充分であるが、太鼓奏者の掛け声を収音 することや、開演前の緞帳が降りた状態でのニートゥイ(開演 を知らせる太鼓)のために設置する【図3】。 古典舞踊と組踊にはほとんどないが、雑踊には鳴り物、囃子(フェーシ:掛け声)などがある。そのためのマイクを 1 ~ 2 本、 立てておくこともある。

▲図3 陰地謡の配置例

 

第8項 スピーカの配置

 

スピーカの配置は、劇場のプロセニアムスピーカとコラムス ピーカを客席補助用とし、出地謡が上手前の場合、上手第1袖 幕の後に中型スピーカ【図4】⑧を客席に向けて仕込み、そこ にプロセニアムスピーカ【図4】②と上手カラムスピーカ【図 4】③を加える。

陰地謡の場合は、プロセニアムスピーカとカラムスピーカは 下手および上手の両方を使用する【図4】①〜③。それと【図4】④〜 ⑤のモニターと、ステージ奥【図4】⑥〜⑦からステージセンターに向けて、モニターも兼ねた客席中抜け用またはステージ 中央定位用のスピーカを設置する。

音量は、地謡が陰にある分だけ聞こえにくくなるための補助と考えればいい。現在の古典舞踊と組踊は、通常、緞帳を使うのでプロセニアムやカラムのスピーカの使用は欠かせないものである。

観客席の小さい劇場(200 ~ 400 名)での音量は、地謡が ステージのほぼ中央に向かって演奏するため、歌などの明瞭度 を上げる程度の音量がのぞましい。 陰地謡の場合はモニタースピーカが必要になる。これは笛・ 琴・胡弓・太鼓の演奏者に歌と三線を返すためのものである。

これらの演奏者は、歌 / 三線の背後になるためで、スピーカは小型スピーカ(スタンド立て)を2個ほど(1系統)設置する (【図3】を参照)。笛・琴・胡弓の FOH 音量は、歌 / 三線の背

中越での演奏であるから、あくまでも生演奏レベルが望ましい。

▲図4 スピーカとマイクの配置例

 

第9項 マイクの設置

 

組踊では立方(たちかた:演者)が台詞を言い、そこに地謡 が情景や心情を表すための演奏をする。 通常、組踊の舞台は4間間口分の所作台を使用するが、舞台 全面に敷くこともある。立方の台詞を収音するために、舞台 前【図4】⑨⑩⑪と舞台奥⑫にBLMを仕込むこともある。

ス テージ奥の袖内を家の中の設定で進行することもあり、その場 合は舞台中と袖奥での会話がある。そのため【図4】のように、その近辺に吊りマイク⑬⑭またはBLM⑮⑯を仕込むこともあ る。

このときに音量と明瞭度が上がり過ぎないように注意する。基本はあくまでも生であり、舞台袖の台詞は少しこもっていて よい。

雑踊の場合は、踊り手が囃子を入れたり、または歌ったりす ることもあるので、通常はBLMを設置する。また、地謡の伴奏によって踊り手だけが歌うこともあるので、その場合も三線奏者に踊り手の声を返すこともある。

 

第 10 項 地謡の音量バランス

古典舞踊と組踊の音楽の基本はユニゾンで構成されており、 あくまでも歌 / 三線を中心として演奏されるため、琴の音量は 三線よりも大き過ぎず、笛と胡弓は歌をサポートするイメージ でバランスをとるとよい。

 

 

出典:御冠船踊 - 組踊と舞踊 -(海洋博覧会公演管理財団)

図版作成:ザ・ゴールドエンジン


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