1985年4月 機関誌 39号
Interview
人間•日本人•社会人そして音響家
吉田 卓司
吉田卓司氏は、芸術座において菊田演劇の中に育ち、その後、劇団四季に移り新しい演劇制作形態を経験している。個性的な多くの先輩プランナーの音を体験する機会を得て、常に演劇人としての心を大切に持ち続けている。そこからは、あらゆる音に対する自信がうかがえる。セク卜的に物事を考えない性格は、大器晩成タイプ。現在は株式会社パシフィックアートセンタ一の取締役専務。違いのわかる45歳である。
舞台人としての音響家でありたい
──舞台人としての音響家の在り方などについて、話を進めたいと思います。
吉田:イン夕ビューを受けるにあたって、機関誌「音響」を読み直してみたんですが、それぞれの立場でのボヤキが非常に多いということに気付いたんです。結局、現実という中で、完全なんかありえないということは、今も昔も変わってないと思うんですよね。現実の中で、どれだけ自分の価値を作るか、というのが我々の仕事のような気がする。
──先日、映像関係の大ベテランから、音響家ってアマチュアですかって言われたんですよ。
吉田:アマチュアと同じに見られているということは価値がないことですよ。第三者に対する価値を見せることができないということは、信用、信頼がないということにつながってくるんですよ。音響家が、質の良い音が出せたのは機械のせいだ、とかだけで終わってしまわないで、プランニングという重要な仕事を通じて、価値を与えているかどうか、これがアマチュアとプロの差だと思います。
──自分のほしい機械を手にいれて、それで終わってしまって、向上心がない。
吉田:大体、プロとアマの差を、音響家がつくれないという現実があるわけですね。それは何なのかということを、各個人が考えるべきだと思います。誰だって音響の仕事はできるんですよ。だけど、その成果がどうであるかということ。仕事をする上で、良い機材を要求することが、ニーズに合うことかどうかということとは別問題ですね。その中で如何に価値を作るかということ、セ一ルスポイントを持たなくちゃいけない。第三者が誰でも認める、絶対だ!大丈夫だ!というものをね。それがプロの仕事であると思います。
固定観念を持ちたくない
──吉田さんは、自分の機材を持たず、更に効果音のライブラリ一は持たない、という考えでしたね。
吉田:やはり、固定観念を持ちたくないからですね。我々の仕事は、イマジネーションをクリエイ卜するということである以上、固定観念にとらわれるということは、いつも同じことをくり返してしまうわけです。
──出発点が、いつも同じになってしまうわけですね。
吉田:そうなんです。だから、それではいけないし、断崖絶壁の上で、一歩失敗すれば落っこちて死んでしまうんだ、という状況に自分を置かないと、落ちないためにどうすればいいのか、という方法論が生まれてこない。失敗しても次がある、みたいなものよりも、命はひとつしかないんだ、というところでやらないといけない。それは、スポーツでも言えますけど、ハングリーさがなければ、人様に感動を与えるような仕事はできないんじゃないですか。
──舞台の場合は、ひとつの作品が終わったら、そこで白紙に戻さないと駄目なんですね。
吉田:ですから、音質などにこだわる以前に、創造性がなくちゃいけない、というのが僕の持論です。
──音屋でなく、芝居心のある演技者でもあるわけですよね。
吉田:もちろんですよ。
──音楽的感性も必要であるし、そしてまず、立派な社会人であることが基本ですか。
吉田:そういう知識、教養、人間性というものはあたりまえに持たなくちゃいけないし、そのために、我々は努力するわけで、舞台の芸能をやるためには、学ぶことがものすごくありますね。結局、誰が主役で、誰がお客で、誰がその他大勢なのか。そういうものすら、わからないのでは困ったものです。
──それは芝居だけじゃなくて、音楽でもですね。
吉田:楽器の音を横並びさせれば良いというものではない。音に奥行きを持たせて、今の演奏はどれが主役なのか、どれをオンしてどれをオフにするか、という組み合わせができる音響家にならなくては、感動する音は創れないです。
──社会人としてしっかりしていれば、何をやっても平気ですよ。そうでなければ、いくら専門的知識があっても、自分の仕事の価値を生みだすことができない。
吉田:人間性そのものが、仕事に反映するわけですよ。だから、音響家以前に良き人間であれ、ということになる。人間としてゆがんでおれば、アンプと同じで、ひずみを増幅しているようなものです。まず、そこに気が付かないといけないでしょうね。
──その次に、美的感覚を備えることでしょう。
吉田:我々が追求するのは、やっぱり美なのですよね。
「美」を求める心は日常の中で鍛えられる
──音にも美があるし、いろんな美を総合したものが舞台芸術でしょ。
吉田:人間の五感の中で、特に視覚と聴覚が美を求める上で、大きな役割を果たしています。人間には、美とは何だろうと考え、美しいものに憧れ、美しいものを創りたいという、基本的な意識があるのではないでしょうか。きれいなバラの花を見れば、非常に感動するしね。そういう美に対する憧れというのは、人間本来の心であるし、その美を我々がどう創り上げるか、絢爛豪華な美、素朴な美、あるいは残酷の美、いろいろあると思うんです。
なぜ残酷に美があるのかというと、残酷という表現をしなければならない場合に、その表現が汚らしいものであってはいけない。その残酷というイメージの中で、いろいろなものが昇華されて、ひとつの美として創りあげられるところに、芸術といわれる人々が感動するものにまで、引き上げられていくのだと思います。
──そのような美的感覚というものは、そう簡単に、一朝一夕に出来上がるものではないのですね。
吉田:そういうことです。本当に我々は、美の追究者であるわけです。なぜ人は美しいもの見て喜ぶのかなど、美に関する方法論ですかね、それが、我々のノウハウじゃないですかな。美を創造するときの・・・
──それから、音響家というのは、自分ですべてやることで優越感を持っている人が非常に多い。
吉田:まったくそうですね。自分がフェーダを持っていたら、プランナなんかできないですよ。だから、音を言葉で語れない人はプランナにはなれない。プランナっていうのは、オペレータなりスタッフに、自分の意図する音を組み立てるように指示しなければならないのですから。それは言葉なんだよね。
プランナにはイメージする音を言葉で表現する能力が求められる
──共通の記号を使って、仕込み図を使うことが、まず言葉ですね。次に、自分はこういう音を作りたいというイメージを、プランナが言わなければスタッフは仕事にかかれない。
吉田:伝達するのは、言葉ですからね。表現したいニュアンスを、言葉で表現してやらないとオペレータに伝わらない。
──イメージを表現して、相手が動いて、創る。そのとき、プランナの言葉のよくわかるオペレータがいれば、もっと良い関係になり、スム一ズに仕事ができるわけです。
吉田:それで良い仕事ができますね。以心伝心の人間がいれば、二人のコミュニケーションがよくとれるわけです。でも現実には、なかなかむずかしい。だから、どうしても言語で説明できる能力を持たなければ、自分のイメージを伝えることができない。
これは、観客に言葉で音のイメ一ジを補足するということではないのですね。それでは音響家の必要性がなくなってしまう。
──海外へ行くとわかると思うけど、プランを言葉で言わなければ動いてくれない。何も完成しない。結局、自分でやらなければならない、という羽目になるわけでしょ。
吉田:演出家は自分で演技しないのに、自分の世界をちゃんと作っている。だから演出家としての価値がある。あれは、演出家が自分の世界を、役者に作らせているのですよね。音響プランナだって、自分で効果音の製作作業をしなくたっていいのです。自分のイメージする音を誰かに作らせてもいいわけです。
よく芸術に言葉がいらないと言いますよね。これは、感覚というより、理論という部分で、しっかりできあがっているからだと思います。だから、完成品は見たときに言葉はいらないわけであって、完成品を作るまでは言葉がいるわけです。言葉も理論もいるのです。
──最後に若手の音響家へ一言。
吉田:やはり、いろんなものを見てほしいですね。一般大衆は自分の好きな音と好きなメシを食っていればいいと思うけれど、プロは偏食したらおしまいです。自分の人生を狭くしていくことは、人生をつまらなくし、損をすることになります。